『国家主義の誘惑』日本上映に寄せて

作品の動機

どうして?どうして!と、つぶやいてる間に日本の政治は常軌を逸して行きます。政治不信という形容を凌駕して、政治への破壊願望がどこかにあると思えてきます。私の経験に照らしここまで地に落ちた日本の政治を見たことがありません。個人的経験を超え歴史という鏡を覗いてみましょう。例えば1930年代半ば。天皇機関説が議会で攻撃の的となり、呼応して国体明徴運動が起き、軍の皇道派が天皇親政を求めて決起し、政党政治が弱体化する。立憲主義が終わりを告げ、天皇の統帥権を盾に軍人が主導する政治に変容し、文部省は「国体の本義」を編み出し教育目標に据える。日中戦争前夜の日本と今、どこか似ていないでしょうか。“政治”というよりむしろ“人々の政治に対する意識が醸し出す空気”です。これを国家主義の誘惑と呼んでみました。

制作の背景

ちょうど10年前、私は「天皇と軍隊」の撮影の真っ只中でした。戦後の歩みを、憲法9条を切り口として天皇制の護持と関連付け、戦後史を紐解く仕事でした。このテーマは戦後史だけで語り切れるのか、近代史の枠で語るべきではと自問しましたが、放送局の注文は日本戦後史で決まりました。その後、2011年の東日本大震災を機に再び日本の近代を映像にしたい欲望が湧き、ヨーロッパ人の関心を引くため“欧州との対立を軸とする日本近代史”を企画書に仕立て持ち歩きましたが、キー局はなかなか通してくれません。情報メディアが肥大した今日もなお、ヨーロッパから日本へのまなざしは、依然として“遠い国”です。しかし、近年中国の存在感が増すにつれ相対的に日本への言及機会も増え、ジェオポリティクス(geopolitics)のアプローチができれば放送枠があるという提案がきました。正直なところ私にとっては、地政学—とはなんぞや、でした。中東紛争、ウクライナ、パレスチナなど領土紛争を読み解くのが地政学です。日本の今を読むために、近代化の歩みを戦争の歴史として紡ぎ、今日に響くように引用すること。これがヨーロパで流行る地政学的アプローチの私流の解釈でした。

天皇メッセージの衝撃

撮影は2016年7月と9月。7月は参議院選挙が目当てでした。この2度の撮影の間にその時はさほどの衝撃はなく、しかし後々考えれば考えるほど衝撃的な事件と受け止めたのが天皇のビデオメッセージです。結果的にこの天皇メッセージは、現政権の改憲プログラムを少なくとも1年遅らせました。9月の撮影時この天皇メッセージの意味を解析すべく、ある法学者に長時間のインタビューを行いました。しかし彼は「メッセージの意味を私が解説してはいけない。国民一人ひとりが受け止めて考えなきゃならない。」と頑として譲りません。設問と応答を繰り返すうちに私はなぜ彼が天皇のメッセージを解説できないと主張するのかわかった気がして、その主張そのものを編集に残していたのですが、フランス人スタッフには通用せず割愛しました。私は天皇メッセージひいては平成天皇は、戦後憲法の“権化”とみなしています。地に落ちた政治、虚偽が堂々まかり通るのを見逃し、数合わせに走る政治家たちが天皇ビデオの日本語の美しさに気づく日が来れば政治は再び軌道に乗ると思います。天皇の真意を理解しない、理解しようとしない人たちが来る退位、即位、大嘗祭などの儀式を最大限利用しようと図るでしょう。“国家主義の誘惑”に対する唯一権威ある防壁が“天皇”であるというパラドクス。この観点から日本の政治をさらに掘り下げる仕事を続けていければと考えています。

2018年5月 渡辺謙一

監督プロフィール

渡辺謙一(わたなべ・けんいち)

1975年、岩波映画入社。1997年、パリに移住、フランスや欧州のテレビ向けドキュメンタリーを制作。『桜前線』で2006 年グルノーブル国際環境映画祭芸術作品賞受賞。近年は『天皇と軍隊』(2009)のほか、『ヒロシマの黒い太陽』(2011)、『フクシマ後の世界』(2012)、『核の大地・プルトニウムの話』(2015)など、欧州において遠い存在であるヒロシマやフクシマの共通理解を深める作品制作に取り組んでいる。